自転車関連の本を物色しに本屋に行った際、平積みされていたラジコン雑誌が目に留まりました。どうやら、今月から月刊化されることになった雑誌のようです。
目に留まったのは、表紙にでかでかと広坂正美氏の写真が使われていたからです。この広坂正美という人は、オレがラジコンに本格的に興味を持ち始めた中学生の頃、日本のトップとして世界選手権などで活躍していた、いわばラジコン少年にとっては憧れの存在だったのです。
その広坂氏が、今なおこうやって雑誌の表紙を飾っているのに、なんだか嬉しくなってしまいました。雑誌の表紙=今なお第一戦で活躍している証ですからね。さすがに顔はオジサン化してきていますが、それでも当時の広坂青年の面影は十分に残っていますし。
ちなみに広坂氏の父親はメカニックとして息子のマシンを仕上げ、祖父は着物のデザイナーかなにかで孫のマシンのカラーリングを担当していた、という記憶があります。そのカラーリングは確かに独特だったんですが、今日手にとった雑誌に掲載されていたマシンをみると、そのカラーリングが未だに使われているようでした。何だかこれも、少し嬉しくなってしまいました。オレには全然関係ないことなんですけども…。
・広坂正美 – Google 検索
( `.∀´)
オレの趣味歴において、ラジコンってのは結構大きな存在であります。今は色んな理由があってやっていませんが、マシンの構造を知ることからはじまってメンテナンス・セッティングなど、ラジコンを通じて得た経験や知識は、今でもレースゲームやモータースポーツ観戦に繋がっているんですよね。
雑誌にまつわることで一つだけ昔話を。オレが中学生の時はラジコン雑誌って「ラジコン技術」「RC Magazine」「スーパーマシーン」しかなかったと記憶してます。
「ラジコン技術」ってのはどう見ても若者向きの雑誌ではなく、内容もヘリと飛行機が主で、厨房のオレが読むモノではありませんでした。
「RC Magazine」は「技術」とは正反対に、明らかに若者向きの編集であり、内容もカーが殆どでした。
「スーパーマシーン」は何だかよくわからないマニアック雑誌で、当時初心者だったオレには今ひとつ理解できない記事が多かったです。
ここでオレは、なぜか「スーパーマシーン」を買い、その後購読することになります。たぶん、とことんまでマニアックなその内容に惹かれたんだと思います。意味がわからないなりに理解してやろうと。
この雑誌で、オレは広坂氏を知りました。若い日本の選手が、海外で連覇をしていると。凄いヤツがいるもんだと、大会ごとの成績を毎月追っていたものです。
一方でこの雑誌からは、「タミヤは競技としてのラジコンでは全く活躍してない」という事実を、思い知らされました。つまりは、タミヤのラジコンカーは遅いということであります。まぁ当時のタミヤのラジコンってのはプラモデルの延長としてのものであり、キット作成の容易さや親切さをウリにしていたわけで、競技としてのシビアな部分はあえて捨てられていたわけですから当然といえば当然なんですけど、そんなことを知らない「タミヤ−コロコロ」で育った厨房にはショックでした。
まぁそれで高校生くらいになると、「タミヤ? ふ、ガキだな。ラジコンはやっぱり京商かヨコモだろう。」と、アンチタミヤになるわけですがw。
ちなみにその「スーパーマシーン」は、売り上げ不振だったのか休刊してしまいました。毎月の楽しみが消えて寂しかったですね。
ラジコン雑誌を手にとって