既に降り始めからだいぶ経っていますが、未だに降り止まないですな。中山競馬場の開催も中止になりました。
我が家の周辺では今現在、積雪7cm程度です。また外気温は2度程度ですね。ちなみに昨夜の最低記録気温は1度。
どうせなら雪景色を写真におさめたいところですが、降りしきる雪というのはなかなか難しいですね。ホワイトバランスの当たりが狂うのは仕方ないにしても、雪による反射光でどんなに絞ってもシャッタースピードを遅くできないから、瞬間的な絵しか撮れません。
まぁ、雪で苦しんでいて死んでいる人もいる状況なのに、写真がうまく撮れないとは、オレも随分呑気というか不謹慎というか平和ボケというか…。
Category: ETC
約6年前から始めているヤフオクですが、評価「非常に良い」が400件となりました。多いか少ないかはともかく、区切りとしてメモっておきます。
出品と落札の比率は正確には調べていませんが、だいたい半々くらいですね。
ちなみに評価400番目は安倍なつみ関連商品でした。オレらしいというか何というか…。
ホリエモンがどうの株がどうの東証がどうのよりも、ぽすれんがサービス継続してくれるのかどうかの方が重要だったりして。
社長のブログのコメントの数が信じがたいな…。
さすがにどのニュース番組も中身が濃かったですね。質はともかく…。
明日の午後には宮崎事件の最高裁判決がでるようですね。
当時オレは小学生でしたが、この一連の事件については割と鮮明に覚えています。それだけショッキングだったということでしょう。マスコミも大騒ぎしてましたしね。
一審・二審ともに動機の解明が完全にはなされなかったようですが、今回は最後なだけにどうでしょうか。主文が気になるところであります。夕刊への掲載は時間的に難しいか…。(裁判についてはド素人なので、最高裁は主文が無いというオチがあったら勘弁)
(参考)
・東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 – Wikipedia
・宮?勤幼女連続殺人事件
プロジェクタについて色々思い出すうちに、大学時代のことも思い出してきてしまいました。折角ですので、学年別にまとめておきます。こんなのは改めて日記に記すことでもないんですが、まぁたまにはアリでしょうか。
・大学1年(1996-1997)
地元を離れ初めての一人暮らし。生活の知恵も無ければ、土地勘も無く。移動手段は自転車のみで、コンビニまで15分、スーパー・学校・本屋まで20分(全て片道)、駅まで40分、バスは1日3本と郊外田舎で過ごす不便さを味わう。せめて大通り沿いの部屋にしておけば良かったと後悔。しかし、何にも縛られずにマイペースでのんびりと過ごせたのは悪くなかった。朝飯もちゃんと食べていたし、学校にも真面目に行っていた。週末はカラオケ→麻雀というのが定番コース。タバコを毛嫌いするも、1年の終わりには自分が吸うようになっていた。
夏頃に自宅からインターネットへ接続開始。確かso-netの50時間コース。暮れにTVGAMEHOTPAGE-MLに参加。ネット上のコミュニティに初めて本格的に参加する。
ゲームはSS中心でSFCも少々。PSは未購入。
・大学2年(1997-1998)
ゲーセン(兼ビリヤード場)でバイトを始める。当初はビデオゲームがそれなりに充実していた店であったが、夏頃に改装しメダルのパチンコゲームが中心の店となってしまう。当然客層は悪くなり、仕事はつまらなくなる。一方でビリヤードにはハマり、閉店後に撞きまくる日々。帰るのは明け方で、当然学校には行かなくなる。初めて女と付き合うも、すぐに別れる。2年の終わりにクルマを購入。中古だが軽ターボ4WDの暴れん坊。当たり前だが生活の範囲が一気に広がり、友人とのドライブなど定番の遊びを一通り経験する。ラジコンにハマってカネをだいぶ注ぎ込む。
MLではトゥーム厨として(?)認知されるようになる。今週の買いや定例RT(IRC)やぢあぶろつあーなど各種企画も盛んでMLの最盛期。
ゲームは言うまでもなく「トゥーム」と「DIABLO」。PSも購入し「GT」に驚嘆。
・大学3年(1998-1999)
ゲーセンのバイトは客層の悪さなど耐えられず辞める。かわりに中古コミックCDゲーム(ゲームは新品も)を扱う小規模な小売店でバイトを始める。店員価格で買う旨味に味をしめ、CDやゲームなど物欲に任せて買いまくる日々。ゲーセン時代よりも生活は多少規則的になったが、相変わらず学校には殆ど行かず。やけにファミレスに通った。
MLは半年ほど休んだが無事復帰。PCはWin98とCeleron300A自作ブームに乗る。CD-Rドライブ購入。3Dゲームが流行り出し、RainbowSix、Quake3、HALF-LIFEなどにハマる。
ゲームは上記Win作品に加え、「ビートマニア」「メタルギアソリッド」も。更に友人との対戦ツールとして「いたスト」と「ウイニングイレブン3」。DC購入。WSも購入。
・大学4年(1999-2000)
バイト継続。物欲ライフも継続。単位が足りないのでさすがに学校へは真面目に行くようになるも、時既に遅し。卒論は「WWW-JSP-SQL環境下におけるポータルサイトの構築」について。無事通るも、留年は確定。
さすがのMLも流量は低迷。PCとゲームは無難にこなすも、特に目立つ新規タイトルは無し。ヤフオク開始。
・大学5年(2000-2001)
当然だが同級生は皆卒業し、若干の後輩をのぞいては学校では一人に。そのぶん真面目に授業を受けるようになる。それでも単位はギリギリだったので就職活動をする余裕は無し(する気も無かった)。なので卒業するも職は決まらずとりあえず実家に帰る。バイトは帰るギリギリまで継続。
MLは2001年になり失効。かわりにdacさんが代用MLを始めるも半年で自然消滅。一方で個人のWebサイトは盛んに。
ゲームは「F355」「PowerSmash」などDCに良作多し。大学生活の最後に「PSO」に出会い埋没する。PS2購入。
以上です。勘違いしている部分もありそうですが。
( ´ Д `)
生活そのものの健全性は、大学1年が一番まともでしたね。これは間違いありません。何というか、余計なことを知らずにいられたからというか、具体的にはバイトやクルマが無かったからこそ、シンプルに生活できたということかも知れません。あと5年のときもそれなりにまともでしたが、これは単位の為に学校をメインにせざるをえなかった為であります。まぁそれこそが学生なのですが…。
時期的には、やはり2年と3年が一番酷かったですね。勉強のべの字もありませんでした。
サークルには入りませんでしたが、それでも定番の遊びはそこそこ経験したように思います。酒席がそれほど好きでなかったので、飲み会の頻度は低かったですが。
サークルの代わりというわけではないですが、TVGAMEHOTPAGE-MLは面白かったですね。オレ個人の発言量はそれほど多くは無かったですが、やっぱり毎日毎日生の声が届くのは新鮮で、雰囲気も良かったですからね。しかし今年で10年になるとは。今では仲良くさせてもらってる人も少なくなりましたが、なかなか感慨深いものがあります。candoさん(当時はkandoさん)のメールと実際とのギャップに驚いたのは今でも覚えています。
MLが元気無くなったのは何もTVGAMEHOTPAGE-MLだけのことじゃなくて、ML全般に言えたことだと思います。ニュースサイトもそれほど多くなく、2chもなければブログも無い、そんな状況の中だったからこそ盛り上がったのでしょう。手軽さもありましたし。
何かを書くという点ではMLもWeb日記もブログも一緒ですが、MLは相手あっての文章なので面白くもあり難しくもありましたね。その点、ブログはオナニー文章で良いので楽ですが質が…。
ゲームについては時期ごとに波がありますが、年単位でみるとそれなりに安定してこなしていますね。積みゲーをやり出したのは明らかにリサイクルショップでバイトを始めてからで、気になったものはすぐに買ってしまうという堪え性のなさは酷いものがありました。
PCについては、Celeron300Aブームの前と後でだいぶ違います。ブームの前はメモリ増設したりする程度しかイジってなかったのですが、ブーム後は各パーツについて興味を持つようになりました。ちょうどビデオカードの3D性能が飛躍的に上がりだした時期でもありますしね(VoodooやRIVAなど)。
(0^〜^0)
書く前は一人で盛り上がっていましたが、書き終わった今は冷めてきました。まぁ折角書いたので、晒しておきます。この日記を読んで下さってる方は、どこかしらこの大学時代に絡んでいると思いますし。
寸゛さんのプロジェクタ購入とそれを用いたゲームの試遊について書かれたエントリを読んで、ふと大学時代に隣人の部屋でプロジェクタを使ってゲームを楽しんだことを思い出しました。以下、懐古厨モード。
およそ10年前、オレは大学に入り一人暮らしを始めました。地元を離れましたので、当然まわりに誰も友人はいません。そういう寂しい状況のなか、はじめて友人となったのがアパートの隣の部屋の人でした。引っ越しの日が同じだったので同級生であることはわかっていましたので、思い切って訪ねてみたのでした。向こうも寂しかったのでしょう。すぐに打ち解けました。
この人がなかなかマニアックな人でして、PC・家電・洋楽に傾倒していました。とは言ってもヲタ臭さは全くなく、部屋や服などはいつもきれいにまとめられていました。
この人が持っていたプロジェクタ(エプソン製だったと記憶)を使ってゲームを遊んでみたのは、仲良くなって割とすぐのことでした。当時オレはサターンを持っていて、それをつないで遊んでみるべ、と。友人はそれほどゲームマニアではありませんでしたが賛同してくれました。
早速遊んでみました。が、この部分についての詳しい記憶はほとんど残っていません。「セガラリー」が迫力あって面白かったのだけ鮮明に覚えています。また、手当たり次第に遊んでみて、最後に麻雀か何かのテーブルゲームをやって、こんなのはプロジェクタでやるべきじゃないねという結論が導き出されたのも記憶しています。あ、「ヴァーチャルハイドライド」もやった覚えがありますなぁ。
この時プロジェクタに対して持った印象というのは、「迫力はあるけれどもフォーカスがボケていて鮮明さがなくイマイチ」というものでした。そして、プロジェクタの価格も含めて考えると、興味はあるけれども買う気にはならないモノ、という位置づけとなりました。もっと言えば、同じカネ出すなら、HMD(ヘッドマウンティッドディスプレイ)の方が欲しかったですね。まぁどちらも買うことはありませんでしたが…。
ゲームで遊んだ数日後、今度は映画を観てみました。アクション映画だったと記憶してますが、具体的なタイトルは失念。字幕のボケが気になりましたが、この時は映像の迫力が優っていましたね。
その後しばらくして友人はプロジェクタを売ってしまいました。(生活費工面の為)
( ´ Д `)
あの当時はHMDが絶対メジャーになると信じて疑わなかった、厨な青春でした。なのでプロジェクタを見下していた部分があったのかも知れません。ヴァーチャルリアリティという言葉がひたすら流行っていた時期でしたしね。
ただ、フォーカスの甘さというのがとにかく気になったことだけは事実です。
あれから10年経ち、HMDの方が廃れてしまいました。今のプロジェクタというのは、当時オレが許容できなかったフォーカスの甘さという点は、だいぶ改善されてきたのでしょうか。それとも、構造的にやはり苦しい部分なのでしょうか。そこが気になるポイントであります。
それにしても、価格だけはほとんど変わらないのですね。
( `.∀´)
実は、高校時代にもプロジェクタに触れたことがありました。高校時代、視聴覚委員をやっていまして、視聴覚室に据え付けられたプロジェクタを触っていたと。とは言ってもそうそう生徒に触らせるものでもないですから、文化祭などのイベントのとき限定でしたが。
視聴覚室はAVアンプなどAV機器が一通り揃っていたのですが、オレはそれらにそれほど興味は持っていませんでした。いま思うと勿体ない話ですが、当時は(当時から)競馬に傾倒してましたからね。ピュアオーディオには多少興味がありましたが、高すぎて手の出せる世界じゃなかったですしね。
( ● ´ ー ` ● )
今のプロジェクタの性能がどの程度のものなのかわかりませんが、プロジェクタでやるFPSというのは興味があります。当時はFPSが無かったですからね(厳密にはDOOMとウルフェンシュタインは有りましたが)。残像の問題が無ければ、多少ピント甘くても迫力が勝ちそうですし。残像があっても、ハンティング系(狩りゲー)なら大丈夫そうですね。あとはドッグファイト系とか、競馬の騎手ゲーなんかも迫力が勝って向きそうですね。
逆に細部の描写が重要になるもの、例えば非常に小さなボタンを見逃すと先に進めないなどといったゲームは難しそうですな。
・大和但馬屋日記 – いろいろ遊んでみた
動きの迫力は申し分なし、しかし視野一杯に広がる画面の四方から出現する敵に目が行届かず、いつもの様なプレイが出来なかつた。攻略を優先するなら小さい画面の方が良い。しかし、「Rez」をどう遊ぶべきかは、言ふまでもないよな。
最後の一言がやたら格好いい! トランスミッションモードをだらだらとBGV的にやるのも良さそうですなぁ。
どうでもいいですが、初代「セガラリー」も「Rez」も、水口氏なんですよね。プロジェクタに欠かせないクリエイタということになりますな(無理矢理)。
更にどうでもいいですが、至る所で酷評されている「セガラリー2006」に逆に興味を持ってしまっているオレがいます…。
(追記)
流石にフォーカスの甘さについてはだいぶ改善されてきていると寸゛さんからレスポンス頂きました。DVD登場以来、ホームシアターだと散々煽ってきましたからね。製品がそれに追いつくのも自然な流れでしたか。あぁ、だとしたらなかなかの驚きであります。
今年もよろしくお願い致します。
( ´ Д `)
紅白、最初から最後まで見ていました。細かい雑感は後にして、とりあえず感想をメモ。
例年以上に、いや例がないくらい、民放の番組(企画)に乗っかったネタが多かったですね。まぁそもそも司会が民放出身のみのなんですから、これはもう確信犯的なものでしょうね。やりすぎと感じる部分もありましたが、まぁマンネリ感を少しでも払拭するには有効な手法なのは間違いないでしょう。
ちなみにみのの司会も悪くなかったです。個人的な好き嫌いは別にして、やっぱり進行は巧いですね。
どうせ民放に乗るのなら、サンボマスターも見てみたかったですね。電車男を絡めてそこからアキバ系までパロディで描ければ、年の締めくくりとして面白かっただろうと。
ハロプロ勢は結構良かったですね。最後もアップがありましたし。1枠に押し込める形でしたけど、時間的にはだいぶ長く与えられて、しっかりパフォーマンス出来たんじゃないでしょうか。
( `.∀´)
PRIDE男祭りは1/1中に見ます。結果知るのが怖くて、見終わるまでネット回れない…。
今年ほど総括が楽な年は無いですね。一言で表せます。
だらけすぎた一年でした。
2006年はもう少しまともな社会人生活をしないといけませんね。我ながら、切にそう思います。
・12/18夜、ヤマトより連絡入る。「商品が無事こちらに返ってきまして、明日責任を持ってお返しにあがります。なお先日お渡しした補償金ですが、そのときにお返しして頂けますでしょうか…? 社内的な問題がありまして…」と。こちらとしてはゴネたり金を支払ってもらうことが目的ではないので、商品の受け取りと引き替えに返金することを許諾する。
落札者から返信あり、状態に問題なければ再度の発送(=取引継続)を希望されるとのこと。
・12/19夜、ヤマトの配達員来訪。商品と補償金を引き替える。先日渡した書類も返された。受け取った後で気づいたが、のしに包まれたタオルセットが商品の下に入っていた。
状態をチェックしてみたが特に問題は無いようで、明日冊子小包で発送することも併せて落札者へその旨メールした。
という感じです。以上を以て、今回のヤマトとの件は一応終了となります。いやー長かったですね。オークション歴はそれなりになりますが、今回のようなことは初めてで。メール便の、いや運送会社の内情が少し見えた気がします。
落札者への発送はさすがに二度目はメール便は使う気にはなれず、了承のもと冊子小包にしました。板ダンボールとエアキャップで過剰に梱包してしまいました。